エジプト文明

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エジプト文明


ナイル川は南北に長く、上流と下流とでは気候や環境が異なり、
暮らしは異なっていたようです。

エジプトと呼ばれる下流地帯では、土地が肥沃で
紀元前5000年ごろには農耕が始められたといいます。
クフ王のピラミッド
上エジプトと呼ばれる上流域では、下エジプトほど農作物が豊富でなかったため、牧畜も行われていたようです。

上下エジプトは、紀元前3000年ごろ統一され、古代エジプト王朝時代が続いていきます。

古代世界において神々と人類が、ともに武器を取って戦うのは決して珍しいことではありませんでした。

特に大きな戦争において神と人類が共同戦線を張るのは、あたりまえだったようです。

古代エジプトの都市エドフの神殿の壁には、神々が人類の戦争に初めて参加したときのことを
伝える銘文が残されているそうです。

エジプトの遺跡の発掘調査と象形文字の解読が進んだ結果、ファラオの統治が開始された
のは紀元前3100年頃であり、ファラオ・メネスが上下エジプトを統一したといわれています。

ファラオ・メネスが上下エジプトを統一する以前は、混沌がエジプトを支配していました。

エジプトの歴代の支配者が列記されていることで、有名なトリノ・パピルスも、神々の王朝からエジプトの
歴史は始まったとしているようです。

古代エジプトは最初に神々がエジプトを支配していたようです。
紀元前3世紀のマネトーなる神官の記述した史書では、エジプト第一王朝の最初のファラオが
メネス王であります。

そして、第一王朝以前に4つの王朝があったようです。そのうちの最初の2つは神の王朝、
3つ目は半神半人の王朝、4つ目はエジプトを部分的に支配した人間の王朝であります。

神の第一王朝は、7名で1万2300年読き、神の第二王朝は、9名で1570年、半神半人の王朝が30名で
3650年間エジプトを支配したといいます。

その後350年間、全エジプトを統治する王は存在せず、混沌が支配します。その後、
10名ほど人間の王朝が区切られた地域を支配します。その後にメネスが第一王朝を確立
したようです。

ファラオがエジプトを支配する以前は、神々が人類とともに地上に住み、ひとりの神が王としてその地域を
支配していたといいます。神々の最後の王は、オリシスの息子ホルスでした。

たとえば、ホルスの加護を受けた人間の王朝が存在したそうです。
ホルスやオリシスなどと呼ばれる神の統治者がエジプトを支配していた時代がありました。
それは「神格化された王」といわれています。

エジプトの伝説によれば、万物いまだ定まらざりし頃、偉大なる神が地に降りてきて、
水と泥の底にエジプトの地を見出したといいます。

偉大なる神は堤防を築き、水の流れを変えてエジプトの地を水の底から引き上げたようです。
これによりエジプトは「引き上げられたる地」と呼ばれるようになったとの事です。

この偉大なる神こそ、天と地の神プタハ、創造主にしてすべての技術の父だといわれています。

エジプトとメソポタミアの境界となる紅海の南端の細い海峡付近は「神の地」と呼ばれ、
神々がその水路を通ってエジプトに到来したといいます。

古代エジプトの初期の神々は、メソポタミアから移動してきたものであると思われます。
プタハがエジプトを引き上げてからしばらくして、記述によれば9000年後、
プタハの息子ラーがエジプトを支配したとの事です。

古代エジプトにおいては、偉大なる神々はみなメソポタミアの「ウル」から到来したものとされていたようです。

古代エジプトの神官マネトーの記述によりますと、プタハ神の治世が始まったのはメネス王が即位する
1万7900年前のことで、それは紀元前2万1000年頃であるといいます。

プタハは9000年間エジプトを支配した後、ラーに王位を譲りました。しかしラーの治世は
1000年を経過したところで中断してしまいます。それは紀元前1万1000年頃に大洪水が
発生した時期だからです。

エジプト神話によればプタハは、大洪水の発生によって再び王位に復帰し、壮大な
土木工事を行ってエジプトの地を水底から引き上げたといわれています。

古代エジプト神話とメソポタミア神話は結びつくことになり、エジプトの神とメソポタミアの神が
対応することになります。

エジプトのプタハ神とは、シュメールでいうエンキであり、エンキの後継者たる地位を得たのが
長子マルドックであります。マルドック=ラーとなるそうです。

マルドック=ラーはエジプトにおいてめきめきと頭角を現し、ついには全地球の覇権を
切望するようになります。

初めて地球に降り立ったとき、アヌンナキ(神々)は宇宙港を建設し、飛行路を設定するに
あたり、上空からの目印となる自然の標識を探し回ったようです。

大洪水後のアヌンナキのための航空誘導システムを建設しました。それがギザのピラミッド
であり、メネスの時代にはすでに存在していたことになります。

ギザのピラミッドは、古代エジプトのファラオたちが墓として建造したものではなく、
地球に降り立ったアヌンナキが宇宙港の施設として建造したものであり、

ギザの大ピラミッドは、アララト山を着陸航路の目標とするその宇宙港の滑走路の
誘導標識として建設されたといっています。

古代エジプトにおいて、ギザのピラミッドは天上へと続く路を示すものと考えられていました。
だからファラオたちは来世への旅立の場として、それを模倣したピラミッドを建設して
いったようです。

人間のために建設したというよりはむしろ「天より降り来し者」が「天から降り来る」
ときのために建造したものであるということです。

ギザの大ピラミッドと、大洪水前のニップル(メソポタミア)にあったエンリルのジグラッドには
いくつかの共通点があるようです。

ニップルのジグラッドは、「エクル(山のごとき家)」と呼ばれ、平野部の中心にそびえ建っていました。

アヌンナキの宇宙港は、大洪水前はメソポタミアのシッパルにありました。その後、
シナイ半島に移転したようです。

大洪水前の「エクル(山のごとき家)」は、着陸船をシッパルの宇宙港に導く航空管制塔の
役割を果たしていたようです。

古代シュメールや古代エジプトの子文書によりますと、アヌンナキが地球に建設した宇宙港は管制塔、誘導標識、
地下格納庫、滑走路などからなっているようです。

シナイ半島に宇宙港があったとき、誘導標識はギザのピラミッドであり、管制塔はエルサレムにあったようです。


[参考文献]
『神と人類の古代核戦争(上)』(学習研究社)ゼカリア・シッチン 著

ルクソール神殿
ギーザの3大ピラミッド
 
大スフィンクス
ホルス神殿
カフラー王のピラミッドと
大スフィンクス
ミイラとアヌビス神
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