インカ文明

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インカ文明


インカ文明はペルーのクスコを拠点に勢力を拡大し、
大都市を作り上げました。最大の特徴は王以外の人間は
王の奴隷だったということです。
マチュ・ピチュ遺跡
奴隷たちは王のために働くことを、心の底から幸福だと信じ込んでいたようです。
インカは部族を征服すると、その土地を三つに分けたといいます。

3分の1は太陽神に対する信心と宗教的な儀礼のために使い、3分の1は征服王のためのものとし、
最後の3分の1は全住民のもので、人々に等しく分け与えられたといいます。

そのため、不満や不服の心配はまったく無く、戦争らしい戦争は記録にありませんでした。 

クスコの中心には太陽神にささげる神殿が建てられ、この神殿から少し離れたところに、
美女を集めた「太陽の処女」の館が建てられていたとのことです。

彼女たちは一生外界とは接触することを許されず、太陽神に捧げるさまざまなものを
作り続けたといいます。

インカ文明にサクサイワマン遺跡があります。クスコ郊外の北部にある巨大な城砦だが、
一つ一つの石がとても巨大でそれを切り出すことも、運搬することも、組み石にすることも、
とても人間技ではできないようである。

一枚岩がとても巨大で、全体の重さは2万トンはあると推定されるようです。
この巨大な岩が近くにあったのではなく、どこから運ばれてきたのか、

運ばれてきたにしても素朴な道具しかなかったと思われる昔に、いったいどうやって
運んできたのでしょう。

そうしたことからサクサイワマン遺跡は、宇宙人の手によって完成されたものだという説も
ささやかれているのです。

クスコ市内に残されたインカ時代の建物を見ても、巨石と巨石の間にカミソリ1枚入らないほど
緻密に組み重ねられていて、とても人間技とは思えないくらいすごいのです。

クスコ郊外にある遺跡「オリャンタイ・タンポ」には、巨大なビルほどもある一枚岩があり、
明らかにどこかで切り出し、ここまで運んできた形跡があります。

インカの繁栄は長い間、大きな問題もなく続き、宇宙人とのコンタクトもスムーズに行われ、
アジア一帯とはまったく異なる文明、文化が発達していったのでしょうか。

あるいは、エジプトや古代インドなどで地球人と摩擦を生じるようになった宇宙人が、
中南米の地球人と平穏で、調和のある関係を結べるようになったのかもしれません。

平和と繁栄に満ちたインカ文明は、1532年にスペインの軍人ピサロとその兵士によって
滅ぼされました。

インカの人々は、アンデスの山奥にあるという理想郷ビルカバンバを目指して落ち延びて
いったとの事です。

1911年1人のアメリカ人青年がついにビルカバンバを発見しました。
ある日、深い渓谷を登りきった頂上には、壮大な規模の都市跡が姿を現しました。

標高2350メートルのところに位置する遺跡はまさに空中都市でした。
この遺跡は現在「マチュピチュ」と呼ばれています。

インカ文明は今でも謎に包まれた部分が多いといいます。それは、この文明には文字が
存在していなかったことがあげられます。

ニネベ遺跡から発掘された粘土板文書がメソポタミア文明の謎を解明し、ピラミッドの謎は
ピラミッド・テキストと言われる文書が解明の役に立ちました。

しかし、インカではどの遺跡からも文字が発見されていないようです。
マチュピチュの遺跡にも文字に関するものは一切なかったようです。

そうしたことから、この遺跡が誰によって造られ、どのような目的で使用されたのか、
いまだに謎のままなのです。

ナスカの地上絵

インカ帝国が栄える以前、アンデス山脈一帯にいくつかの文明が栄えていたことが
知られています。

ペルーのリマから南へ車で約1時間下った海岸付近にさかえていたのがナスカ文明と
言われています。

ナスカに隣接するイカや、パラカスの文明が紀元前1100年ごろと伝えられているので、
ほぼこの頃に栄えていたのではないかといわれています。

ナスカの大地に描かれた、途方もなく巨大な絵は、とっても不思議に満ちたものです。
この線が絵であることが発見されたのは、20世紀に入ってからといいます。

なぜなら、この時代になって初めて飛行機がナスカ上空に飛ぶようになったからです。
ナスカラインを上空数千メートルから見下ろす機会ががあって初めて
絵だと解ったようです。

色んな説があります。ナスカの地上絵の研究かドイツ人マリア・ライは言っています。
超古代のナスカの住民は、星と人の世界を地上に描き出したのではないのか。

地上絵の直線は、1点から出発し、末広がりのような拡大軌道を描いています。
これは数百年にわたる惑星の軌道の変化を描いたものではないのか。

古代ナスカ人は、星座をそのまま地上に写し取ることに、強いこだわりを持っていたため
ではないのか。

「ナスカの地上絵は、宇宙人が地球に飛来するときの宇宙船の滑走路だった」という説を
となえているのがドイツ人超古代考古学者のエーリッヒ・フォン・デニケンです。

デニケンは「超古代には宇宙人が盛んに地球に飛来し、地球人とコンタクトをとっていた」
という説を世に問いました。

人類の歴史をたどってみますと、数百万年もの間、きわめて原始的な生活を送ってきた原住民が、
突然高度な文明を築き上げました。

この間に、何らかの出来事があっても不思議ではないように思えます。


[参考文献]
『神々からの黙示録』(日本文芸社)平川陽一 著

サクサイワマン遺跡
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