占星術や天文学は、今から5000年以上も昔、メソポタミア地方のバビロニア時代に
始まったといわれています。
この時代は、占星術というよりは、「天文学」を中心に発展させていったようです。
大地を耕して定住する農耕文明が発展し、洪水などの自然災害を避けるためには、
季節の変わり目を確定するために星の動きを観測したり、記録することがとても大切な
ことでした。
この土地に住んでいたシュメール人たちは、自分たちを支配する神々の意思は、
天界の動きにあらわれると信じていました。
洪水やそのほかの天界の異常な事象は、大惨事の前兆であると捉えていたようです。
彼らは神を祈るための塔を建て、天体観測を行ったといわれています。
天体の運行と国家には対応関係があり、それが占星術の源流となったようです。
その後、カルデア人が天文学の技術を引き継ぎ、黄道12宮が成立して、
占星術の基礎が出来上がったといいます。
当時の占星術師の言葉は、王の命令まで左右し、占いのつじつまを合わせるために
軍事行動を起こした王もいたようです。
楔形文字で記載された粘土板に「エヌマ、アヌ、エンリル」があり、約7000の天文事象による前兆が
記載されています。
黄道とは、天球上の太陽の通り道であり、地球が太陽の周りを回る公転軌道を、
天球に映し出したものです。
地球が回るという概念そのものがなかった時代には、「太陽が空を通っていく道=黄道」と
考えていたようです。
西洋占星術を理解するうえでは、「黄道」と「獣帯」の関係が密接であります。
「獣帯」とは、この黄道を中心に広がる仮想された帯域で、12星座に獣が多く(おひつじ・おうし・ししなど)
並んでいることから「獣の帯」とされ、12の星座を黄道12宮というようであります。
そして、太陽系の惑星もほとんどが「獣帯」の中を運行しているそうです。
12宮の始まりが「おひつじ座」とされるのは、占星術が生まれた時代に、その星座が春分のとき
太陽と同じ位置にあったからとされています。
この「春分点」は、イエス・キリストの頃に「うお座の時代」になり、現代は「みずがめ座の
時代」に入ろうとしています。(近い将来)
それによって、何らかの価値観の変動があるのかもしれません。
春分点が移動するのは、地軸が共通面に対して傾いていて、「歳差運動」をしている
ためであります。
72年で1度ほどの移動で、春分点がひとつの星座を通過するのには、30度ほど移動が
必要なので、2160年を必要とする(72年×30度=2160年)と言われています。
春分点の移動は長大な時間を要するものであるから、この現象に気づくのにも相当の
時間を要するはずであります。
現代の観測機器をもって始めて観察できるズレであり、従来の常識からすれば数千年前の人類が
観察することは、とうてい不可能であるようです。
シュメール文明が歳差運動のことを、春分点移動のことを正確に知識的に持つことは、
不可能であるといわれています。
なぜなら、シュメール文明にはそれ以前の文明がなく、時間も優れた知識も
取り入れることが物理的に無理だからです。
ではどうやってシュメール文明は歳差運動の知識を得たのでしょう。シュメール人は
「アヌンナキから知識を得た」と記録が残っているようです。
「アヌンナキ」とは、古代シュメール語で「天より地に降り来たりし者」という意味で
シュメール神話に出てくる「神々」のことです。
他の惑星からやってきたアヌンナキという神々が地球に降り立ち、シュメール人に知識と
技術を与えたというのです。
シュメール人は文明を与えてくれたアヌンナキを神とみなし、これを崇めたといいます。
シュメール文明の粘土板文書には春分点の移動のような記述「太陽が背景となる星座を次々に
変えていくこと」が記録されているようです。
古代バビロニアの遺跡からは、天体の運行を記録した粘土板が数多く発掘されています。
そういった粘土板には単なる天体の運行の記録だけでなく、戦争、飢饉、洪水などの
凶事や、戦争の勝利、政権の安定、王の長命などの吉事を読み取っていたようです。
また、特定の恒星、惑星、星座などの運行から天井の神の意思を読み取り、
それを地上の王の統括に反映させたようであります。
[参考文献]
『人類創成の謎と宇宙の暗号(上)』(学習研究社)ゼカリア・シッチン 著
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